2016年10月28日金曜日

韓国の大学院、それも非専攻へ進学した理由 いつも忘れてしまうけれど

こんにちは、小室です。

今日は真面目な投稿になります。

とは言ってもブログではまともな投稿をするように心がけていますが…。笑


なぜ、私はここにいるのかというお話です。

キャンパスもすっかり秋色です


なぜ、韓国の大学院に進学したのか。

それも学部の専攻ではない韓国史学科だったのか。


なんでここにいるのでしょうか。


日韓関係史、特に近代史に関心を持ったのは学部2年生の前後だったと記憶しています。ちょうど日韓関係が最悪だと言われていた時期です。

私はもともと、在日朝鮮人/韓国人問題をはじめとする差別問題に関心があり、問題に接近する方法として教育、特に生涯学習が良いではないのかと考え、生涯学習専攻で勉強していました。

朝鮮学校に訪問する機会もありましたが、授業や現場での聞き取りを通して以前までは北朝鮮との関係悪化によってヘイトスピーチ・ヘイトクライムが起こされていたのが、韓国との関係悪化もまたそうした現象を引き起こしていることを知りました。

なぜ韓国との関係が悪化するのか。理由を探ってみると、歴史認識問題は大きな要因の一つと言えそうだと素人目に見てもわかりました。実際に両国での実施されたアンケートを見ると、歴史問題を重要視している人が一定数いることがわかります(日韓関係にまつわる報道にも問題点がありますが、この点に関する自身のアプローチはまた後に述べようと思います)。外交の次元でも、対立し、争点化するのは歴史認識問題ではないでしょうか。

日韓関係の悪化がきっかけとなり、日韓歴史認識問題に関心を持った私は、博物館学の授業が開講されていることも念頭に置いてソウル市立大学の国史学科への交換留学を決意しました。学科の授業は1学期の間だけ受講することとなりましたが、本腰を据えて私自身の認識を深める必要性を痛感しました。生涯学習での自身の学びの中心は実践に重きが置かれていましたが、実践を下支えする問題意識や背景知識を深める必要を感じました。質・量ともにさらに学ぶべきだと思いました。

交換留学の前後から他学科で開講されている韓国並びに日韓関係にまつわる授業を受講したり、書籍を読んだり学習会に参加していました。見識を深めながらも、一人で勉強することへの限界も感じました。日韓関係に影響を及ぼしている出来事は現代史の分野でもありますが、その根は近代史の分野にあるとも言えます。現代史は比較的に実感を持って学ぶことができる反面、近代史は難しさを感じました。歴史学の方法論、常識も知らないまま、一人突っ走っていくことへの危なさも感じます。また日本語話者なので日本語での文献を読み進めていくことには支障はありませんが、外国語である韓国語での文献購読は一人では難しさが伴いました。

きちんと学びたい、が進学を検討する動機でした。そこからじっくり考えて、韓国の大学院への進学を決意しました。ここ韓国で、韓国の歴史学界の現状や植民地期への評価、歴史認識をベースとした日韓関係に対する認識への理解を深めることを目標としました。

最終的な目標は社会と学術界の垣根を低くしていくこと、学術界での成果を普及させていく橋渡しの役割を担うことですが、そのためにも私自身がそれら成果やその過程を学ぶ必要性を感じています。キャリアパスとして学術方面だけでなく、橋渡しの役割となり得る職業(報道、通訳・翻訳業など)も検討しています。

身の程知らずではありますが、それが韓国の大学院の、専攻ではない韓国史学科への進学を決めた理由です。

(これ以降は読んでも読まなくてもどちらでも、といった内容です。もし今何かに悩んでいらっしゃるならどうぞ。抜けないトンネルも、明けない夜もないのです。)

(それから、悪意の根源や形成過程に関する研究に関してお詳しい方いらしたら、どうぞご教授ください。最近関心があるのですが、社会学なのか心理学なのかいまいちわかっていないので、ぜひ。)



なぜこんなことを書いているかと言いますと。


なぜこんなことを書いているのかと言うと、毎日課題に追われ、ここにいる目的と目標を忘れそうになっている自分に気が付いたからです。自分の未熟さと浅学さに打ちひしがれながら、周りの優秀な人材と比較しながら落ち込んでいました。精神的にもだいぶ参っていたタイミングで、ふと自分と向き合う機会を得たので、ついでに整理してみました。

燃え尽きた状態(エネルギー不足)で高い目標を立て、それ以上のことを成し遂げようとすると余計にうまくいかないというアドバイスをプロから頂きました。一生懸命頑張ることは大切なことですが、自分の身の丈に合わないことをするとドロップアウトする危険性も伴います。この間、私のような人間がここにいていいのか悩み続けました。院生として学問に貢献できていないことに負担感を持っていました。辛かったですし、今も辛いですね。

しかしそれは自分に目標以上のことを要求していた、つまり韓国人学生と同じ水準で肩を並べてやり遂げるのが当たり前で出来ない自分が怠けていると追い詰めていた結果だと思います。だからと言って努力を怠ってはいけないのですが、まずこの環境にいられることに感謝しながらも毎日の小さな収穫を軽視しないようにしたいです。そうした毎日に小さな小さな収穫が必ず私の血となり肉となり、私の糧になると信じたいです。

(毎日頑張っている方へ。どうか自分を追い詰めすぎないでくださいね)

辛いのには他にも原因があって、実はそれが一番大きなストレスであり呪縛のようでした。その呪縛と向き合うのも辛かったです。原因を認めるのは簡単なことではありませんでした。まるで傷ついて苦しんでいる自分が弱くて、取るに足らない存在であることを認めてしまうような錯覚を持っていました。そこから認識を変えるのには時間はかかりましたし、これからもかかると思いますが、向き合えた時点で大きな一歩を踏み出せたと考えます。

ひどいことを言ってくる人も立場を利用して圧力を加える人もこれからの人生にたくさんいると思いますし、きっと傷つくと思いますし、そのことを引きずって苦しむとも思います。ですが、決して私という人格を揺るがすものではないと思えるようになりました。言葉や行動での暴力を振るった彼らが想像力を持つことができなかったことがただただ哀れでなりません。傷つき苦しむ柔らかい心を持つことができたことだけでも、そうした言葉や行動の暴力による呪縛を克服しようと努力できているだけでも、それらをひっくるめて理解を示してくれる家族、友人、大切な人に恵まれただけでも幸せだと思います。


私情はさておいても、最近は悪意というものに関心があります。悪意の根源はどこにあるのか。悪意が増幅していく過程とは一体どういうものなのか。社会学の分野なのでしょうか、心理学の分野なのでしょうか。どなたか詳しい方がいらっしゃったらご教授ください。高史明さん『レイシズムを解剖する: 在日コリアンへの偏見とインターネット』が悪意がどのように形成されるか知るきっかけになりそうなのですが、いかんせん読むタイミングを逃しています。自身の学術関心とも重なる部分も多く、発売当初から気になっているのですが。休暇という名のただ授業がないだけの休暇中に読めるといいのですが。

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